2013年01月04日
和歌山昔話 その19 お正月の遊び
小学生の頃、夢中になった遊びです。
木製のみかん箱に、戸車を車輪がわりにカジを取り付けた
手作りのスーパーカー!
(イメージはこんな感じ)
完成した車を手に
近所の悪ガキ達といそいそと出かけます。
向かった先は、我が母校の 雄湊小学校・・・
今も当時のままですが
正門前から井上病院まで続く下り坂
この刺激的な急坂をジェットコースターさながらに滑ります!
ガラガラ~グォ~~~ン
大音響とともに、しばしスリルを味わうのですが、やがて・・・
ウルサ~~イッ!
と近所のニイチャンから叫ばれ、雲の子散らすように逃げ出した遠い思い出・・・
mori-papa お気に入りのお正月の遊びでした
2012年03月17日
和歌山昔話 その18 七曲市場
久々の和歌山昔話です。
小学生の頃、七曲市場は絶好の遊び場でした。
細い路地が迷路のようになっており、
オニゴッコするのにバッチリの場所でした。
日曜は市場がお休みだったので
それこそ悪ガキどもの天下!
時にはアーケードの屋根の上まで登ったり
自転車レースをしたり
市場は子供達のワンダーランドでした。
これは現在のマップですが
あの頃のなつかしいお店が残ってます!
うおこ
(魚を売る威勢のいい掛け声が響いてました)
銭屋
(遠足の前日はお菓子を買う小学生であふれてました)
菊水堂
(亡くなったおばあちゃんのお気に入りの和菓子屋さん)
春日屋
(出来たてのかつおぶしをよくもらった)
まるひこ
(あつあつのコロッケを新聞紙に包んでもらいかぶりついてた)
今なお昭和の香りがいっぱいのノスタルジックな場所・・・
先日、訪れてみましたが
昔、あんなに広かったと思った七曲市場・・・
案外狭いことに驚きました。
シャッターを閉めてるお店もありましたが
いつまでも続いてほしい和歌山の名所です。
2011年02月14日
和歌山昔話 その17 新和歌展望台
新和歌浦の高津子山・・・
今では山頂に東屋を残すのみですが、その昔、ここには回転展望台がありました。
山頂までは麓の駅からロープウエイで約5分
子供の頃、祖母に連れてもらって何度か行ったものです。
ロープウエイの中で流れていた唄・・・
♪背伸びしたとて 高津子山で
恋し大阪 見えはせぬ
夢でなりとも 逢いたい人は
たった一夜の 泊り客
しんしんとろりと 新和歌の浦
いつもとろりこ 波の音
3日前の晩御飯、何だったか思い出せないのに、
こんな昔の歌、歌詞までよく覚えているものです!(笑)
2011年02月07日
和歌山昔話 その16 ケンケンパー ♪
mori-papaが小学生の頃、放課後、近所の子供達が5~6人集まるとよくやりました。
案山子のケンケンパ~
地面へ棒っ切れでこんな線をひきます。
この頃は未舗装の地道がたくさんありました。
アスファルト舗装されてた道なら、ロウ石か瓦のカケラで絵を描きます。
各自、平らな小石を見つけ、自分の石にします。
一人ずつ順番に手前の足へ石を入れ、石の入ってるところは飛び越しながら
ケンケンパーで頭の笠まで行くと、反転してまたケンケンパーで元に戻ってきます。
線を踏むとアウト!
アウトになった子は罰として案山子の周りをケンケンで一周。
お金のかからないwiiのような遊びでした。
案山子のケンケンパ~
地面へ棒っ切れでこんな線をひきます。
この頃は未舗装の地道がたくさんありました。
アスファルト舗装されてた道なら、ロウ石か瓦のカケラで絵を描きます。
各自、平らな小石を見つけ、自分の石にします。
一人ずつ順番に手前の足へ石を入れ、石の入ってるところは飛び越しながら
ケンケンパーで頭の笠まで行くと、反転してまたケンケンパーで元に戻ってきます。
線を踏むとアウト!
アウトになった子は罰として案山子の周りをケンケンで一周。
お金のかからないwiiのような遊びでした。
2011年02月05日
和歌山昔話 その15 なつかしの清涼飲料水
毎週金曜、FM877の 『ちかねえの金曜ランチブレイク』
武田千佳さんがパーソナリティーでオンエアされてる番組です。
・・・で、今回のテーマは、『なつかしの清涼飲料水!』
私も思い出したので、番組へメッセージ送りました。
それがコレッ!
幼稚園の頃、おやつの時間に飲んでました。
味は今のヤクルトに似てたような・・・
飲み終えると空き瓶を口にくわえ、中の空気を吸い込むと
舌にビンがくっつきます。
ベロを出して、くっついたビンをブラブラさせながら遊んでました(笑)
そして、もうひとつ思い出したのがコレッ!
♪ ホホ~イのホ~イで もう一杯
ワタナベの~ ジュースの素です もう一杯 ♪
普通は水に溶かして飲むのですが、悪ガキ達は原末をそのまま口に入れて
しゃぶってました。
「舌、どうなっちゃある?」
と友達とオレンジ色に染まった舌を見せ合いっこして遊んだものです。
武田千佳さんがパーソナリティーでオンエアされてる番組です。
・・・で、今回のテーマは、『なつかしの清涼飲料水!』
私も思い出したので、番組へメッセージ送りました。
それがコレッ!
幼稚園の頃、おやつの時間に飲んでました。
味は今のヤクルトに似てたような・・・
飲み終えると空き瓶を口にくわえ、中の空気を吸い込むと
舌にビンがくっつきます。
ベロを出して、くっついたビンをブラブラさせながら遊んでました(笑)
そして、もうひとつ思い出したのがコレッ!
♪ ホホ~イのホ~イで もう一杯
ワタナベの~ ジュースの素です もう一杯 ♪
普通は水に溶かして飲むのですが、悪ガキ達は原末をそのまま口に入れて
しゃぶってました。
「舌、どうなっちゃある?」
と友達とオレンジ色に染まった舌を見せ合いっこして遊んだものです。
2011年01月21日
和歌山昔話 その14 放課後の遊び
小5の頃、放課後はたいていここに集まってました。
雄湊公園に出来た県営相撲場
雄湊公園に出来た県営相撲場
土俵下の観客席はフラットな舗装がなされており、適度なバンクにもなってました!
一周約50mほどのリンク・・・
遊びの天才の小学生達はここを見逃すわけありません。
これです!
一周約50mほどのリンク・・・
遊びの天才の小学生達はここを見逃すわけありません。
これです!
ローラースケートです!
入場料は確か・・・1時間、10円くらいだったかな・・・
たいてい男子ばかりでしたが、たまにクラスの女の子が応援に来ると
ヒートアップして生傷が絶えなかったものです(笑)
ヒートアップして生傷が絶えなかったものです(笑)
2010年09月04日
和歌山昔話その13
季節はゆっくりと秋に向かってます。
行く夏を惜しみながら、ひとつ思い出しました。
かき氷・・・
長い間、食べてないなあ!
小学生の頃、近所のお店へよく通いました。
かき氷です。
「おばちゃ~ん、ちょうだ~い!」
「あいよ~!」
シャカシャカシャカ・・・
上からトロ~っとした蜂蜜をかけてくれます。
うまかったなあ・・・
行く夏を惜しみながら、ひとつ思い出しました。
かき氷・・・
長い間、食べてないなあ!
小学生の頃、近所のお店へよく通いました。
かき氷です。
「おばちゃ~ん、ちょうだ~い!」
「あいよ~!」
シャカシャカシャカ・・・
上からトロ~っとした蜂蜜をかけてくれます。
うまかったなあ・・・
2010年04月12日
思い出の店 その3
店の名前はちょっと変わってました。
洋風居酒屋 『示観大胃』 (じかんたい)
市役所のすぐ近くだったこともあるのか、お客さんは勤め帰りのサラリーマン風の方が
多かったような・・・
店名からも連想できるようにインテリアのモチーフは 『時計』 でした。
古い柱時計や動かなくなった目覚まし時計などがさりげなく置かれており、都会の隠れ家的な
雰囲気を醸し出していました。
会社帰りにフラっと立ち寄ったものです。
ボトルキープしてたのは確か、BOSTON CLUB だったな・・・
後輩が結婚するというので、サプライズのお祝いで、結婚式当日のユーミンのチケットを
プレゼントしたのもこの店のカウンターでした。
会社の女の子の恋愛相談に乗ってたところ、突然泣かれ、もしかしたら周りから上司と部下の
不倫カップルのように見られたんじゃないか・・・とアセったこともありました(笑)
いろいろな思い出が詰まっている忘れられないお店でした。
洋風居酒屋 『示観大胃』 (じかんたい)
市役所のすぐ近くだったこともあるのか、お客さんは勤め帰りのサラリーマン風の方が
多かったような・・・
店名からも連想できるようにインテリアのモチーフは 『時計』 でした。
古い柱時計や動かなくなった目覚まし時計などがさりげなく置かれており、都会の隠れ家的な
雰囲気を醸し出していました。
会社帰りにフラっと立ち寄ったものです。
ボトルキープしてたのは確か、BOSTON CLUB だったな・・・
後輩が結婚するというので、サプライズのお祝いで、結婚式当日のユーミンのチケットを
プレゼントしたのもこの店のカウンターでした。
会社の女の子の恋愛相談に乗ってたところ、突然泣かれ、もしかしたら周りから上司と部下の
不倫カップルのように見られたんじゃないか・・・とアセったこともありました(笑)
いろいろな思い出が詰まっている忘れられないお店でした。
2010年04月08日
思い出の店 その2
その店はブラクリ丁の細い路地を入った奥まったところにありました。
洋風PUB 『ENE ENE』。
階段を上がり二階のドアをあけると、ウイスキーのボトルがまるで書棚に並んだ本のように
目に入ります。 銘柄はすべてロバートブラウンでした。
仲間達とグラスを傾け、ホロ酔い気分になってくると歌いたくなってきます。
誰かが口火を切ると、我も我もと続くのですが、そのタイミングが難しいのです。
ジュークボックスに100円玉を入れて選曲すると、レコードがまるでトランプを
シャッフルするようにセッティングされます。
当時の私の十八番は 『ジュリアに傷心』。
サックスのイントロに誘われてステージに上がると気分はフミヤになってます(笑)
見知らぬ客同士がノリノリでハジけられる魔性の魅力を持ったお店でした。
洋風PUB 『ENE ENE』。
階段を上がり二階のドアをあけると、ウイスキーのボトルがまるで書棚に並んだ本のように
目に入ります。 銘柄はすべてロバートブラウンでした。
仲間達とグラスを傾け、ホロ酔い気分になってくると歌いたくなってきます。
誰かが口火を切ると、我も我もと続くのですが、そのタイミングが難しいのです。
ジュークボックスに100円玉を入れて選曲すると、レコードがまるでトランプを
シャッフルするようにセッティングされます。
当時の私の十八番は 『ジュリアに傷心』。
サックスのイントロに誘われてステージに上がると気分はフミヤになってます(笑)
見知らぬ客同士がノリノリでハジけられる魔性の魅力を持ったお店でした。
2010年04月07日
思い出の店 その1
地下へと続く階段を降り、ガラスのドアを開けると
珈琲をたてるいい香りが漂ってきます。
喫茶 『ピアン』。
高3の頃からお気に入りの店でした。
テーブル、椅子、カウンターの焦げ茶色と漆喰壁のオフホワイトのコントラストが
ちょっとスペインの片田舎にある古民家を思わせるような、落ち着いた雰囲気の
インテリアでした。 座るのはたいてい奥から二番目のテーブル席でした。
珈琲はもちろんのこと、美味しかったのはバタートースト。
4cmほどもある厚切りのパンに、トロトロのバターがたっぷり乗せられてました。
仲間達と他愛無い話をしたり、レコードの貸し借りしたり、時には彼女との
デートスポットだったり・・・
喫茶 『ピアン』・・・お世話になりました!
県庁近くのビルの地下1階、 現在は『ウインドサーカス』というお店になってます。
珈琲をたてるいい香りが漂ってきます。
喫茶 『ピアン』。
高3の頃からお気に入りの店でした。
テーブル、椅子、カウンターの焦げ茶色と漆喰壁のオフホワイトのコントラストが
ちょっとスペインの片田舎にある古民家を思わせるような、落ち着いた雰囲気の
インテリアでした。 座るのはたいてい奥から二番目のテーブル席でした。
珈琲はもちろんのこと、美味しかったのはバタートースト。
4cmほどもある厚切りのパンに、トロトロのバターがたっぷり乗せられてました。
仲間達と他愛無い話をしたり、レコードの貸し借りしたり、時には彼女との
デートスポットだったり・・・
喫茶 『ピアン』・・・お世話になりました!
県庁近くのビルの地下1階、 現在は『ウインドサーカス』というお店になってます。
2010年04月02日
和歌山昔話その12
ゲームソフトもプレステもなかった時代・・・
小学生のmori-papa達はどんな遊びしてたんでしょうか?
今でも思い出すのは『2B』です。
当時の悪ガキにとって、これははずせないアイテムでした。
ちょうどタバコの先に着火剤のついた火薬という感じです。
素晴らしかったのはマッチや火が不要で、ブロック塀などにこすりつける
だけで着火するというきわめて機動力に富んだ(?)ブツでした。
着火すると10秒ほど白い煙が出て、やがて
黄色に変わってきます。それから数秒後に爆発するのですが、そのタイミング
がビミョ~です。根性なしの子供は早く投げてしまい、地面に落ちてから爆発
するので周りからヒヤカシの声を浴びせられます。
ぎりぎりまで手に持って、投げた空中で爆発させるのがキモでした。
そのうち応用編も編み出し、悪ガキ達は2Bを手に街へ繰り出します。
当時はほとんどの家が「汲み取り式のポッチャントイレ」でした。
汲み取り口から2Bを投げ込み爆発音を聞いてから逃げるのです。
たまたま投げ込んだトイレでは、ちょうどウ〇コ中のオッサンがいたようで
窓から「コラ~!」の声に蜘蛛の子を散らすように退散したことを
思い出します。(食事中のかた、ゴメンナサイ!)
小学生のmori-papa達はどんな遊びしてたんでしょうか?
今でも思い出すのは『2B』です。
当時の悪ガキにとって、これははずせないアイテムでした。
ちょうどタバコの先に着火剤のついた火薬という感じです。
素晴らしかったのはマッチや火が不要で、ブロック塀などにこすりつける
だけで着火するというきわめて機動力に富んだ(?)ブツでした。
着火すると10秒ほど白い煙が出て、やがて
黄色に変わってきます。それから数秒後に爆発するのですが、そのタイミング
がビミョ~です。根性なしの子供は早く投げてしまい、地面に落ちてから爆発
するので周りからヒヤカシの声を浴びせられます。
ぎりぎりまで手に持って、投げた空中で爆発させるのがキモでした。
そのうち応用編も編み出し、悪ガキ達は2Bを手に街へ繰り出します。
当時はほとんどの家が「汲み取り式のポッチャントイレ」でした。
汲み取り口から2Bを投げ込み爆発音を聞いてから逃げるのです。
たまたま投げ込んだトイレでは、ちょうどウ〇コ中のオッサンがいたようで
窓から「コラ~!」の声に蜘蛛の子を散らすように退散したことを
思い出します。(食事中のかた、ゴメンナサイ!)
2010年03月30日
和歌山昔話その11
昭和36年頃、ちょうどmori-papaが
幼稚園から小学校にあがる頃でした。
ダッコちゃんブームが突然、勃発しました。
当時の子供達にとっては、なんとか
手に入れたい!と願うものの、ここ和歌山では
残念ながらどこのオモチャ屋さんにも入ってきません。
そんな折、東京見物に行った祖母が半日探し回って買ってきてくれました!
当時の値段で一個180円。
製造していたのは 『宝ビニール工業』。 現在の 『タカラトミー』です。
今でもビニールのにおいに触れると、あの『ダッコちゃん』の記憶が
鮮明に蘇ってきます。
2010年03月16日
和歌山昔話その10
丸正百貨店の五階、覚えてますか?
子供達にとってまさしくあそこは夢空間でしたよね。
毎年、クリスマスが近づくと父親が連れてってくれました。
お気に入りが見つかり、いくら 『 買って~!』 とせがんでも
そのときは買ってもらえません。
「かしこにしてやんとサンタのオジサン、来てくれへんゾ」
いつもこの決めセリフに納得せざるを得ませんでした。
でも、25日の朝、目覚めると枕元にはクリスマスギフト用の
丸正の青い包装紙に包まれて、あの時せがんだオモチャが置かれてました。
今想えば、あれはプレゼントの事前リサーチだったんですね(笑)
その父親も三年前に他界・・・
・・・親孝行、したいときには親は無し・・・ですね(苦笑)
子供達にとってまさしくあそこは夢空間でしたよね。
毎年、クリスマスが近づくと父親が連れてってくれました。
お気に入りが見つかり、いくら 『 買って~!』 とせがんでも
そのときは買ってもらえません。
「かしこにしてやんとサンタのオジサン、来てくれへんゾ」
いつもこの決めセリフに納得せざるを得ませんでした。
でも、25日の朝、目覚めると枕元にはクリスマスギフト用の
丸正の青い包装紙に包まれて、あの時せがんだオモチャが置かれてました。
今想えば、あれはプレゼントの事前リサーチだったんですね(笑)
その父親も三年前に他界・・・
・・・親孝行、したいときには親は無し・・・ですね(苦笑)
2010年03月13日
和歌山昔話その9
今でも台風接近!のニュースを見ると、被害がでないことを
願いつつも、ちょっとワクワクするところ、ないですか?
小さい頃、雄湊小学校の近くに家がありました。
あのあたりは市内でも高台で、二階の窓からは和歌山港が見えました。
当時は大きなビルやマンションもなく、木造家屋の平屋建てがほとんどでした。
台風が近づくと、赤灯台と白灯台の堤防に打ちつける高波が
まるで導火線を伝う火花のように左から右へ砕け散っていく風景を
二階の窓から飽きもせず眺めていたものです。
願いつつも、ちょっとワクワクするところ、ないですか?
小さい頃、雄湊小学校の近くに家がありました。
あのあたりは市内でも高台で、二階の窓からは和歌山港が見えました。
当時は大きなビルやマンションもなく、木造家屋の平屋建てがほとんどでした。
台風が近づくと、赤灯台と白灯台の堤防に打ちつける高波が
まるで導火線を伝う火花のように左から右へ砕け散っていく風景を
二階の窓から飽きもせず眺めていたものです。
2010年03月10日
和歌山昔話その8
パルナスピロシキのコマーシャル、覚えておられますか?
ワルツテンポのマイナー調のメロディーがたまらなくせつなかったですね。
♪ ズン・チャッチャ ズン・チャッチャ・・・♪
日暮れ時なんぞにあのCMを耳にしようものなら、急に淋しくなって
仕事帰りの母親を半泣きになりながら待っていたものです(苦笑)
ワルツテンポのマイナー調のメロディーがたまらなくせつなかったですね。
♪ ズン・チャッチャ ズン・チャッチャ・・・♪
日暮れ時なんぞにあのCMを耳にしようものなら、急に淋しくなって
仕事帰りの母親を半泣きになりながら待っていたものです(苦笑)
2010年03月09日
和歌山昔話その7
和歌山城の南側、近代美術館から寺町・水道坂に至る丘陵地帯はその昔
奥山 と呼ばれてました。
和大の教育学部の古びたキャンパスもありましたが、あのあたり一帯は当時の小学生の
悪ガキ達にとってはまさしくパラダイスのような遊び場でした。
放課後ともなると、「奥山へ遊びにいこら!」 との誘いに皆、ワクワクと心を躍らせ
自転車をこいで行ったものです。
朽ちかけた廃屋などは秘密基地 となり
宝物を埋めたり、忍者ごっこのスポットとして最適でした。
先日、何十年振りかにあのあたりを散策しましたが、今でもところどころに当時の名残があって
まるでタイムマシンに乗って過去にタイムスリップしたような感覚にとらわれました。
今でも隠れた穴場ですよ!
奥山 と呼ばれてました。
和大の教育学部の古びたキャンパスもありましたが、あのあたり一帯は当時の小学生の
悪ガキ達にとってはまさしくパラダイスのような遊び場でした。
放課後ともなると、「奥山へ遊びにいこら!」 との誘いに皆、ワクワクと心を躍らせ
自転車をこいで行ったものです。
朽ちかけた廃屋などは秘密基地 となり
宝物を埋めたり、忍者ごっこのスポットとして最適でした。
先日、何十年振りかにあのあたりを散策しましたが、今でもところどころに当時の名残があって
まるでタイムマシンに乗って過去にタイムスリップしたような感覚にとらわれました。
今でも隠れた穴場ですよ!
2010年03月08日
2010年03月07日
2010年03月06日
和歌山昔話その4
出ました~! ダイハツ・オート三輪・・・通称:バタコ!
なかなかいい雰囲気ですよね。これはおそらく丸ハンドルでしょうが、もっと前は
オートバイのハンドルみたいなやつもあったと思います。
なにしろ車輪が三つしかないので、あまりスピード出しすぎて交差点を曲がろうとすると
コケてしまう恐れもあったようです(笑)
そして他にこのバキュームカーバージョンもあって、そちらは通称:ババタン
と呼ばれてました(笑)
2010年03月05日
和歌山昔話その3
50年近く前、和歌山港から水軒あたりまで『 荒浜海岸 』という浜辺がありました。
ちょっと、ウラ淋しい海岸で、親からよく言われたものです。
「荒浜あたりでほっつき歩いてたら、こ~とりのおいやん来るで~」
こ~とりのおいやん?・・・子捕り・・・(今でいうところの拉致!)
子供心ながら、その言葉のオドロオドロさにビビッたもんでした(笑)